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いろとりどりの解決|神奈川県川崎市

社会課題が多様化・複雑化する昨今。従来のアプローチでは、解決が難しい問題が山積しています。自治体においてもそれは同じ。市民のニーズが多様化し、業務が多岐にわたる一方、担い手が不足といった問題などから、これまでのやり方や仕組みだけでは、対応が難しくなってきています。

 そんな中、約154万人の人口を擁し、7つの行政区からなる神奈川県川崎市 は、「市民創発」という市民・企業・行政などの垣根を超えた、新しい市民自治の在り方を模索しています。7区それぞれで異なる歴史や特色を持ち、抱える課題は多様さ、複雑さを増す中で、市民に寄り添いながら、これまでにないまちづくりに挑むまでには、一体どのようなが背景があったのでしょうか。

今回お話を伺うのは、「市民創発」型のまちづくりのキーマンである川崎市市民文化局の中村茂局長。これまでとは違った形でまちづくりの触媒となる「行政マン」であり、自らも川崎生まれ川崎育ちという一人の「市民」でもある中村さんに、まちづくりへの思いについて伺いました。聞き手は、富士通デザインセンターの杉妻(すぎのめ)謙。富士通デザインセンターの「デザイナー」という立場と、川崎市中原区ソーシャルデザインセンターのメンバーという「市民」という2つの立場を越境しながら市民参加型のまちづくりに携わる者として、深掘りしていきます。





どうしたら複雑化する地域の問題に向き合うことができるのか

杉妻 まずは、川崎市の新しいまちづくりのキーワード「市民創発」についてご紹介いただいてもいいでしょうか。ソーシャルデザインに関わる者としても、川崎市民としても、どうして川崎市がこういう言葉を掲げるようになったのか、とても興味があります。
 
中村 はい。市民創発とは、さまざまな人や団体が、それぞれの知識やアイデアや資源を持ち寄ることで、複雑な問題を解決していこうとする考え方です。年齢や性別、文化や価値観の違う人が集まれば、考え方はさまざまですよね。そうした環境で自由に意見や考えを出し合えば、似たような境遇の人だけでは思いつかないような新しいアイデアや、柔軟な解決策が生まれるはずです。
 
杉妻 複雑な問題をどう解決していくか。まさに今、多くの自治体で、頭を悩ませているところですよね。「市民創発」というキーワードに辿り着くまでにどのような経緯があったのでしょうか。
 
中村 具体的なきっかけとしては、市民の行政参加の制度が、少子高齢化や価値観の変化などから時代にそぐわなくなり、見直しを始めたことでした。新たな制度をつくるにあたって、市民の皆さんの意見を聞く中で、特に行政として重要なテーマと捉えたのが、新たな公共サービスの在り方でした。実は自治体職員である私たち自身も、市民のニーズが多様化する中で、これまでの硬直的な行政サービスのあり方には限界を感じていたんです。

民間企業を経て、1988年に川崎市役所へ入庁した中村局長。2021年から現職

杉妻   中村さんのような現場にいる方々が「限界」を感じていたというのは、重要なポイントだと思います。具体的にどのようなことですか?

中村 物質的な豊かさが暮らしの豊かさに直結していた高度経済成長期においては、行政が下水道や道路の整備などの事業計画を立て、どんどん実行していけば、それが市民の生活の向上に直結しました。しかし、そうした社会的インフラが整った現代は、技術的な課題に対してPDCAを回していくような従来のやり方だけでは解決できない複雑な問題であふれています。

杉妻 その複雑さに向き合うために生まれたのが、「市民創発」というわけですね。

中村 そうですね。複雑な課題に対しては、誰も正解を持ち合わせていないわけです。だからこそ、これまでのように行政があらかじめ細かな計画を立てるのではなく、市民のみなさんと一緒に悩み考え、対話やトライアンドエラーを繰り返しながらまちづくりをしていくことが必要だと考えました。大事なのは、セレンディピティ(偶発性)が生まれる余白を残しておくことです。

杉妻 例えば、どのように市民との議論を深めていったのでしょうか?

中村 市民の皆さんに「10年後の私たちのまちはどうなったらいいですか」という共通の問いをワークショップなどで投げかけました。その答えをまとめたのが、「希望のシナリオ」です。10年後の理想のまちの姿がイラストで描かれています。

希望のシナリオには、地域の人々が集う「まちのひろば」が描かれている

杉妻 イラストで描かれていると、とてもイメージが湧きやすいですね。この中でも「市民創発」のアプローチとして、核になっている取り組みを教えてください。

中村 市民のみなさんから出てきた意見として圧倒的に多かったのが、地域の居場所や他者との出会いの場の必要性でした。実際に市内の調査でも、人とのつながりや関係性が、幸福度や健康寿命の増進につながっているという結果が出ています。

杉妻 実際に川崎市では、地域の交流の場「まちのひろば」を市内のあちこちにつくったり、行政、市民、企業・団体などの垣根をこえて地域をつなぐ「ソーシャルデザインセンター」という拠点を7区それぞれで立ち上げたり、試行的・実験的な取り組みが始まっていますよね。

中村 はい。「まちのひろば」の創出は重要な取り組みの一つです。商店街やマルシェ、森の遊び場など、誰もが気軽に集い、多様なつながりを育むことのできる地域の居場所を、すでにある地域資源を生かしながらつくっていこうとしています。

一方で、行政の役割というのは「まちのひろば」そのものをつくることではなく、地域にそうしたつながりの場が次々に生まれていくような土壌・環境を耕すことにあると考えています。そのための市民創発のプラットフォームとして、市民・企業・行政が一体となって、地域の居場所づくりを促していく機能を持たせた「ソーシャルデザインセンター」の設置を進めているところです。


市民と一緒につくり上げる、色とりどりな7区のソーシャルデザインセンター

杉妻 「市民創発」という新しいアプローチへと大きく舵を切っていくためには、乗り越えなければならない壁も多かったのではないでしょうか?

中村 議論のプロセスでは多様な意見が出るのは当然のことで 、合意形成に至るまでには時間がかかりました。ただ、これからの変化に対応しうるやり方に耐えうるよう、行政スタイルも変革していかなければという問題意識を持っていたので、根気強く向き合いました。
よく誤解されますが、ラディカルにこれまでのやり方を全て180度変えるということではなく、これまでの 大切にしたい部分は守りながら、同時に環境変化に柔軟に対応する幅を持つということです。

杉妻 同じような悩みを抱えている自治体も多いのではないかと思うのですが、川崎市はどのような方法で乗り越えたのでしょう?

中村 もともと、市民創発は福田紀彦市長の問題意識が一つの出発点だったのですが、まずは市長と担当部局である私たち市民文化局の目線を合わせることから始めました。市長執務室にホワイトボードを持ち込んで、ワークショップを7回ぐらいやりましたね。その後、市長が自ら全局区長を集めた会議を開き、現状の課題を踏まえて行政を変えていくという強いリーダーシップを示されたことで、庁内の風向きも少しずつ変わったと感じています。

また、市民に対しても区民会議や町内会・自治会をはじめ、さまざまなフィールドで活動されている一人ひとりの意見を丁寧に拾っていきました。そのためにアンケート調査を実施して、これまでの活動の評価や課題に感じていることをヒアリングしたり、SNSを使って呼びかけをしたり、ワークショップを開いたり。さまざまな接点をつくることで、新しい仕組みづくりに関わってくれる人をどんどん増やしていったのです。

庁内外のさまざまな議論を経てまとめ上げた「これからのコミュニティ施策の基本的考え方」

杉妻 そうして実現した成果の1つとして、先ほど話にあったソーシャルデザインセンターが挙げられると思います。私も中原区ソーシャルデザインセンターのメンバーとして参加していますが、7区それぞれで違った歴史的背景や特色を持ち、各区ごとにカラフルで多様な取り組みをしているという印象があります。各区の特色がうかがい知れる事例があったら教えてください。

中村 例えば、多摩区のソーシャルデザインセンターです。もともとその地区でまちづくりや福祉事業に携わってきた大人たちが仕掛け人となって、大学生を主体としたまちづくりの流れが生まれています。また中原区などではコミュニケーションツールとしてSlackやLINEなどこれまで使っていなかったSNSを使い、リアルタイムの情報交換を可能にするなど、柔軟な発想で参加の垣根を低くしています。まちづくりにSNSをうまく活用している事例かなと思います。

さらに、川崎区のソーシャルデザインセンターは、一般社団法人や企業など、法人格を持った5つの団体が緩やかなネットワークを組み、エリアとテーマを分担しながら運営しています。その中には、オールドカマー(第二次世界大戦前後から日本に滞在する、旧植民地出身者とその子孫)の歴史に30年以上向き合い続け、現在はニューカマー(1980年代以降に渡日した外国人)の問題にも取り組んでいる「社会福祉法人青丘社」も含まれます。彼らは外国にルーツを持つ子どもたちの学習支援を中心に取り組んでいます。

最初から7区一律で「こういうソーシャルデザインセンターをつくりましょう」と市が計画するのではなく、市民と一緒に考えながらつくっていったからこそ、そのまちにふさわしいソーシャルデザインセンターになっていったのだと思います。と同時に、これが完成形というものではなく、常に環境に適応しながら変化し続けるものだと 思います。


あるもの探しの「ブリコラージュ」で生まれる新たな価値

杉妻 ここまでは、川崎市の取り組みについてお話しいただきましたが、ここからは少し、中村さん個人の視点からも、まちづくりへの思いを聞いていければと思います。川崎市での中村さんの動きを拝見していると、今回の「市民創発」の取り組みを始めるずっと前から、地域の資源を生かした多様なやり方が必要だという考えをお持ちだったのではないかという気がしているのですが、いかがでしょう?
 
中村 私は民間企業から転職して、1988年に川崎市の区役所に入ったのですが、当時から少しずつ、いろいろなところで社会の硬直化を、そしてそれがもたらす歪みを感じていました。日本の未来のためには社会構造を変えなければならない。そのために役所も変わらなければならない。そんな思いで同期と一緒に「オルタナティヴ川崎研究会」という職員の自主研究グループをつくり、まち歩きや勉強会などを通して地域の課題を知り、それにふさわしい政策や事業を自分たちなりに模索していました。
 
もしかすると、そうした活動が今の取り組みの原点になっているのかもしれません。当時の問題意識を時代に合わせてアップデートしつつも、根底にある考えは変わっていないような気がします。

杉妻 2004年頃には、岡上地区のエコミュージアム構想をお持ちだったというのも、興味深いです。川崎市麻生区の岡上地区は、東京都町田市と横浜市青葉区に取り囲まれる飛び地です。中村さんは、そのエリア特有の自然・文化・産業などに着目し、岡上地区を丸ごと「ミュージアム」のようにしようとされていました。飛び地ならではの課題も抱える岡上地区に対して、画一的な行政サービスを導入するのではなく、そこにある地域資源を組み合わせて、新しい価値を生み出していくという発想は、中村さんがまちの課題と向き合うときによく使う言葉、「ブリコラージュ」にもつながるものがあると思いました。

中村 「ないもの探し」ではなく「あるもの探し」をしよう、ということはよく言っていますね。よく川崎市は隣接する東京や横浜と比べられますが、ないものを嘆いてもしょうがない。つまり、ほかの地域と比べて足りない資源を外から調達して補うのではなく、すでに地域にある資源を「ブリコラージュ(組み合わせ)」することで、新しい価値や可能性を生み出していくという考え方です。その組み合わせるという行為から、創発性や偶発性も生まれると考えています。

杉妻 まちにすでにあるものの価値にいかに気付けるかが重要になってきますよね。私も中原区ソーシャルデザインセンターの活動の中で、地域の魅力を探す「なかはらの宝さがし隊」という企画を子どもたちと一緒に行いました。そうしたブリコラージュのもととなる地域資源を発見するために、中村さんが意識していることはありますか?

地域の魅力的なモノ・コトを可視化する中原区SDCの取り組み「なかはら宝の地図」

中村 「あるもの」に目を向けるというのは、すでにそこにあるのに誰もその存在に気づかない小さな事柄や、物事のあいだのちょっとした差異をすくいあげて、光を当てていくことです。物質的な豊かさを追求する時代が終わり、これからは大きな成長や経済的な効率とは別の「小さきもの」にこそ可能性があり、未来がある。そうした視点に立つことが第一歩ではないでしょうか。


「小さき個人」という視点から見えてくるもの

杉妻 「小さきもの」に未来を見る姿は、「市民創発」のアプローチを実現するまでに一人ひとりの意見を大切にしてきた姿勢とも重なるように思います。行政のような大きい組織が社会課題を解こうとすると、どうしても「大きな課題を大きく解く」となりがちです。特に川崎市のようなたくさんの人口を抱える政令市では、そうした傾向が強く出てしまいそうなものですが、川崎市では「課題を小さく捉えて大きく解く」と言えるような、課題を個人レベルにかみ砕いて解いていっているところが、ユニークだなと思います。

中村 それは、市民のみなさん一人ひとりのウェルビーイングを高めることが、行政の究極の目標と捉えているからかもしれません。市長も「最幸のまち かわさき」として、川崎を幸せのあふれる「最も幸福なまち」にしていくことを目標に掲げています。 全体と個の関係性についてはいろいろな考え方があることは承知していますが、やはりまち全体を豊かにしていくためには、一人ひとりの自己実現にどこまで寄り添えるかが大切になります。

そのためには、誰にでも当てはまる共通の制度だけではなく、個別の課題に寄り添ったアプローチも必要です。以前、ある人から「一本の太いパイプより千本の細い糸」という言葉を教えてもらいました。例えば、生活保護制度のような1つの大きな制度はもちろん大切だけどそれだけではなく、小さなサポートや個別の支援の仕組みをたくさん用意して組み合わせることが不可欠だ、と。そうした政策統合の結果として、1つのまちの中で市民がそれぞれの幸せを叶えられる、そんな余白のあるまちづくりをこれからも考えていきたいです。

杉妻 中村さんがさまざまな対話の場に姿を見せるのも、そうした思いがあってこそなのでしょうね。時にはワークショップなどの場に、一市民として参加されている様子も印象的です。

中村 そういえば昔、職員の自主研究グループを作ったときに「公務員っぽくないですね」と言われたのがすごくうれしかったんですよね。私自身、行政職員である前に一市民であり、「小さき個人」であるわけですから、これからもその感覚は大切にしていきたいです。

川崎生まれ、川崎育ちの中村局長。
川崎市役所本庁舎から生まれ育ったまちを愛おしそうに見つめる


“あなたとわたしでつくる社会”とは

杉妻 最後になりますが、富士通デザインセンターでは「社会の課題を、等身大に。社会の明日を、あなたとわたしで。」をミッションステートメントに掲げています。中村さんが考える「あなたとわたしでつくる社会」とはどのようなものでしょうか?
 
中村 間違いや失敗をお互いに認め合える、寛容でやさしい社会でしょうか。みんなが競い合いながらがむしゃらに頑張るのではなくて、たまには間違えるし、失敗もする。それを許容し合い、そしてお互いに頼り合えるような社会。1つのまちでそれが実現できれば、日本の社会全体も変わっていくんじゃないかと思います。


<SPECTACLES DIALOGUE>

川崎市は、富士通にとっても1935年の創業の地であり、現在も最新のテクノロジーとイノベーションの創出やコーポレート機能を担う主要拠点が市内にあるゆかりの地。地域とともに歩む企業として、これまでも一緒にさまざまな活動をしてきましたが、今回のインタビューを通して、川崎市がさまざまなステークホルダーと関係性を構築し、その関係性から価値を生み出すための「余白」を大切にした「デザインしすぎないデザイン」をしていることが印象的でした。

また、中村さんの個人のエピソードからは、ないもの探しではない、今あるものに目を向けていく「ブリコラージュ」や、システムや全体で見るのではなく、行政システムや地域全体として見るのでなく、まちに生きる「一人ひとりの幸せや自己実現」の視点から見つめることの重要性を感じました。取材では、中村さん以外に3名の課長にも立ち会っていただきましたが、「川崎が大好きなんですよね」という中村さんに対して、「愛があるから、余白が生まれている気がする」と課長がおっしゃっていたのも印象に残っています。市民と仕事の立場を行ったり来たりしながら、肩書きや立場にとらわれない一人の人間としてまちづくりに関わるそうした姿勢が、わたしたち一人ひとりがより良い社会をつくるためのヒントになるかもしれません。

取材にご協力いただいた川崎市 市民文化局の皆さん。
(左から)パラムーブメント推進担当課長 藤井英樹さん、市民文化振興室 文化施設・映像のまち推進担当課長 山本陽子さん、中村さん、コミュニティ推進部 協働・連携推進課 課長 早川雄大さん


※所属・肩書は取材当時のものです

関連リンク
これからのコミュニティ施策について(川崎市)

DESIGN SPECTACLES編集部
企画・構成:杉妻 謙・宮 隆一
編集:渡邊 ちはる
グラフィック:堀内 美緒

TEXT:白石 沙桐・エクスライト
Photo :鶴本 正秀